0304「従軍中のウィトゲンシュタイン…略」/0516ダルカラードポップ「演劇」:感想

テアトル・ド・アナール第四弾「従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行"およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない"という言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか?という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語」3/4@SPACE雑遊
(作演出:谷賢一)

完璧な舌で論理の銃弾を浴びせられるのが気持ち良い、一句一句の意味の重たさが心地よい。ちょっとでもぼーっとしてたら意味を取り逃してしまう、こんなに集中するのも頭に気持ちいいし、集中を切らさせない俳優陣の演技も良かった。だからといって言葉ばかり優位じゃない。自由席の舞台は本当に久しぶりでしたが、うっかり最前列なんかに座らなくてよかったって思うくらいの暴力性。二面が客席にされていて、客席も部屋のなかみたいだった。いわゆる第四の壁とやらがなくって。狭い部屋に声も物音も響きすぎるくらい。大声で怒鳴ったり物を蹴ったり殴ったりするのが本当に怖い。そこに広がる哲学の深淵さ。本当にどこかにある兵営のなかに自分がいるみたいなリアルな空間なのに、一人の哲学者の頭の中の言葉の遥か宇宙と空想まで届く広がりがある。すさまじい密度。
文学の主人公でよくいる、めちゃくちゃ頭が良くて・人と上手く付き合えず・悲観的で気弱で・という人物にめちゃくちゃ共感してしまうんですけど実際の私は頭悪くて何もないから本当に救いようがないなと思う、けどこの作品はそういう観客に救いのある話だったと思います。主人公は他の登場人物に貶められ殴られだってするけど、彼は彼らと同じ世界にいないように感じる。ウィトゲンシュタインが浴びせられる暴言や暴力に怖いと思ったり傷ついたりするのは観客のほうで、彼自身は毅然としている。毅然として彼らを言い負かすし受け入れる。最後は親愛なるヴィンセントに出会うこともできる。
公演台本を購入して、やっぱ生で観るのが一番には変わりないんですけどそれでも何度も読み返しています。論理の広げるシーンはじっくり読むのもまた楽しいし、腹の立つシーンでは読んでるだけでも鼓動が速くなる。ダッシュ・三点リーダー・スラッシュ・ポオズ・サイレントの表記は読んでみてなるほどと思った。どこまでも完璧。観に行って本当に良かったです。


DULL-COLORD POP「演劇」5/16@王子小劇場
(作演出:谷賢一)

思ってもみないところに着地した作品だった。(以下ネタバレですがあまり当てになりません)

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翼をください」を歌う子どもたちの合唱、それを聞く男性教師ふたり。また別の場所で、無邪気にグリコで遊ぶ悪ガキ二人。ボロボロのランドセルを背負うボクと、電話の受話器だけを持つ鈴木。二人はシェイクスピアみたいな劇的な言葉でエヴァみたいなことを言い合っている。大人は嘘つきだ、悪者、矛盾してる、あんな大人にだけはならない。ボクがいなくなっても世界は回る、ボクはボクだけのなにかすごいことをするんだ!過剰に子どもぶった品のない話し方と、ありふれた台詞と、文学的な言葉遣いのアンバランス。ボクはあんなくだらない卒業式には出ないと宣言する。
ボクは友達と別れ家に帰る。父と母と祖父。父と母はボクのことでボクを蚊帳の外で痴話喧嘩を始め、言い合った挙句に欲情して別室に捌ける。ボクとともに取り残された祖父はお経のように朗々と弱弱しくボクに語る。ミラーボールが光り盆が回り、ボクもそれに気づいて怪訝な顔をしている。”おじいちゃんはボクの物語のなかでは通りすがるだけの脇役だろう。でもおじいちゃんはおばあちゃんの物語のなかでは主役なんだ。そしてボクはおじいちゃんの物語のなかでは三番目の主人公だ”
ボクはフルートとバスケットボールを持つ車いすの少女と出会う。少女はイジメに遭い、石灰を飲まされ臓器を壊し、三階から突き落とされて歩けなくなったという。だけど少女はパワフルでめちゃくちゃで超ポジティで何も悲観していない。ジャージ先生に卒業式に出るなと言われたので、自分だけの卒業式をしようとしている。少女は夢を見ることができるので。
教師が四人。中年の学年主任と、上下ジャージの若い男教師、女教師に、地味な雰囲気の保険医。学校で起きたイジメによる飛び降り自殺未遂について対応を話し合っている。自殺した児童の父親はこの事件を警察沙汰にしようとしている、それを阻止すべく会議している。イジメはなかったと結論づける学年主任に、もう一度調べなおせと募る保険医。イジメはなかった、女教師はクラス児童全員と面談をしたが誰もいじめはなかったと言う。火のついたマスコミやネットに殺人者扱いされた児童は精神的にも弱っている。いじめに関して警察沙汰だけは避けようと、父親を激昂させ逆に暴力沙汰を起こさせようとシナリオを描く学年主任に、保険医は断固として反対する。話し合いは決裂したまま自殺した児童の父親が現れる。父親はそこで土下座していままでの学校への無礼を詫び、娘を卒業式に出させてやってくれと懇願する。
ボクは鈴木とともに、鈴木の知り合いだという木の下にいる働いていないすごいおじさんに会いに行く。そこでボクは車いすの少女への恋心を言い当てられ、その恋心のために戦うと誓う。
夜、体育教師と女教師。彼らは深夜まで対応に追われている。体育教師は女教師に弱音をこぼす。僕はこんな大人にはなりたくなかった。昔は分かりやすい敵がいてそれと戦えばよかった。いまオレは何と戦っている?オレたち教師は教育委員会に逆らえず、教育委員会文科省の掌の上、、その文科省は大勢の名のない保護者の監視にされされ…俺らはなにに操られている、こんな大人になるはずじゃなかった…。女教師はそれを聞き入れない。体育教師はコーヒーを煎れにいき、ひとり残された女教師のもとに、いじめ首謀者ではないかとされる児童の父親、保護者会の男が現れる。
ふたたび、学校。学年主任、体育教師、女教師、保険医、スクールカウンセラー。彼らは児童の父親を待ちながら、役割を確認する。最後まで合意することはなかったが、保護者会の男と父親が現れ、話し合いは始まってしまう。学年主任の台本は間違ったことを言わないもの。正しい話し合いはやがて沈黙する。埒が開かないと父親は机を叩き一喝する。それに対し保護者会の男は、これを卒業式本番でやられたらたまらないと言い返す。再び下手に出る父親に保護者会の男は今まで父親がしてきた暴走を挙げ論破していく。それに対し父親も娘の苦しみと自らの後悔を涙ながら語る。そのうちに、父親自身も娘に暴力を振るったことがあることが露見し、今まで父親の気持ちに添っていた保険医は父親を非難する。神妙な顔をして聞き入る教師陣と、ここぞとばかりに畳み掛ける保護者会の男。(このあたりで泣いて泣いて仕方なかった。私は基本父親の目線で物語を見ていたので)

ついに父親はキレて暴走する。サイレント・スローモーション。そこに突然ボクが登場する。体育教師はボクに向かって俺はお前だという。ボクはそれを信じない。けど大人になったらみんなこんなものさ、世界はこんなものさ。……ボクは叫ぶ。
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終盤までずっとこれは何なんだろう、どう結ぶんだろう、どういう答えを導くのだろうと思いながら観ていた。演劇というタイトルだから、この作品でなにか脅かされるとしたら演劇の舞台上の世界の話だろうと思っていたけど違った。これは現実の話だった……。涙が出るくらいつらい現実の話をこれだけの重たさ・現実感で描いて、それだけでもう天才なのにそこに演劇を組み込むってもう本当に天才だ。
つらい話だから、戯曲も買っても読まないだろうと思って買わなかったけど(あと泣きすぎて気まずかった)、感想を書きながらやっぱり買っておけばよかったなと少し後悔。すごかったけど本当にあれはなんだったんだって終演してからずっと思ってる。記憶のままにあらすじを綴ってみたけど、たぶん本当はこんな話じゃなかったし…。